「ありふれた臨床研究会」の終わりに
〜発表者から見た研究会のエスノグラフィー〜
「君、いいね!めっちゃいいよ、発表しよう!」 酒場臭の漂う仙台の居酒屋で、東畑開人は顔を赤らめ、満面の笑顔で唾を飛ばしながら僕に向かって言った。
2022年11月、東畑さんが日本健康心理学会の基調講演に招聘された際、僕は知り合いの心理士から「東畑さんと飲みませんか?」と誘われて宴席に参加した。薄暗いオレンジ色の電球に照らされた店内。ガヤガヤと話し声が響く中、日本酒片手に臨床談義に花が咲く。僕は糖尿病の臨床の話をした。認知行動療法をオリエンテーションにしているが、臨床実践の多くは論文化されるような典型的な展開をしていないことを話した。クライエントのめかぶ工場での日常をひたすら聞いていること、身体疾患の臨床なのに仕事の成功と苦労を聞いていること、待合室で長時間待たされている人に声をかけるのも仕事だと思っていること、など。そして僕自身が糖尿病の当事者で、それをクライエントに積極的に自己開示する禁忌を犯すことがたまにあり、「マズいかも…」と思いながらも、しかし決定的に間違っている気がしないことも。自ら進んで話したというよりは、同年代の臨床家が複数人集まり、酒の勢いで抑制が効かなかったというのが正確だ。そうした僕の話に、東畑さんは笑顔で冒頭のセリフを返した。
僕が「ありふれた臨床研究会」に参加したきっかけはここに書いた居酒屋トークだった。後日、東畑さんと山崎さんから、次年度の「ありふれた臨床研究会」で発表しないかと誘いがあった。東畑開人の『居るのはつらいよ』、『野の医者は笑う』、「霊から心へ:心理療法を医療人類学的に再考する」を始めとした論文を数編読み、論考以上に学術書での自由な文体に惹かれていた僕は、発表したいと返事することに躊躇はなかった。ただ、興奮はしていたが、半信半疑だった。本当に僕のやっている臨床が検討に値するのか、果たして「善い」と評価されるのか。それがわからなかったから。
研究会での発表の日取りがその年の11月に決まり、数日が経過した4月某日。3人のLINEグループ(11月発表グループ)ができた。LINEグループが作成されてわかったのは、2人はとにかくレスポンスが早い。オンラインに住んでいるのかと思うくらい早い。僕が送ると、数分後(時には数秒後)には既読がつき、返事が届く。最初は、「本当に仕事しているのか?」と疑った(もちろん本気では思っていない)。その後、山崎さんは、僕がタイトル案と簡単な内容の趣旨を送ると「めちゃいいですね、いい回になりそうです」と即レスをくれた。肯定的な文面が届く。それらのやりとりを通して僕が感じていたのは、文字通りシンプルに “肯定されている” という感覚と “歓迎されている” という感覚だった。流派が違っていても自分の臨床を理解しようとしてくれる(山崎さんの言葉を借りれば、「見知ろう」としてくれる)という安心感。僕が2人とつながってから、研究会で発表を終えて現在に至るまで、2人のこの印象は今も一貫している。
発表1ヶ月前の10月、山崎さんから打ち合わせをしようと連絡が届いた。4月に仮タイトルを送ったあと、何を発表しようかと頭の片隅に置いて考えていたが、発表内容は拡散気味で不安だった。2023年の研究会のサブテーマは「社会的視点の探索」。社会を描くという視座から臨床を眺めたとき、あれもこれも、自分が関わっている臨床現場にはいくつも取り上げるべきシーンがあるように思える。しかし、それをいざ発表しようとすると、急にそれらのシーンが取るに足らないものだったり、取り上げない方がいいもののように思えてくる。一つの同じ臨床エピソードを想起しているはずなのに・・・。臨床場面では意味があると思えていることが、発表の土俵に乗せようとすると急に似つかわしくないものに変わる。臨床の「正しさ」は多元的なのだろうか。自分の臨床実践は、どこに向けて発表するかによって形を変えねば受け入れてもらえないような、そんな頼りないものなのだろうか。一人、現場での「正しさ」を考えているときには違和感なく思えていても、聴衆がいる場に出すときの「正しさ」を考えると臆病で弱腰になる。その心情を無限往復していた。
不安と自信の無限往復から脱せたのは、東畑さん、山崎さんとの打ち合わせのおかげだ。2人は、僕が糖尿病の心理臨床で「ありふれた臨床」だと思っている数々のエピソードにコメントをくれ、どこに発表の価値があるかを可能な限り言語化して伝えてくれたように思う。そして、この時点ではまだ明確になっていなかった、「病む」ということ、「医療」というもの、「当事者」であること、などについて議論の土俵にのせることを促してくれた。きっと2人は、研究会の場で、議論することを望んでいたのだと思う。「ありふれた臨床研究会」という試みの全てが終わり、研究会に関する山崎さんのエスノグラフィー原稿を読んで、それを痛感した。
発表会の当日。数百人の参加者が画面の向こう側にいると考えると緊張した。ただ、オンラインであることがそれを紛らわせたと思う。僕の性格からして、対面の会場だったら「失敗してはいけない」と思って自由に振る舞えなかったかもしれないから。ただ、オンラインではあったけれど、もう一つ僕が余裕をもって発表できた理由は、やはり事前に2人が綿密に打ち合わせを設定してくれ、発表原稿にコメントしてくれたからだ。臨床を “肯定” されることで、僕は当日 “支えられた”。不安と恐怖に立ち向かっていくことができた。
けれど、発表の翌日、僕は抑うつ気味だった。「うまく話せなかったのではないか。考察が十分ではなかったのではないか。自分の臨床は正しいと自己承認しているだけだったのではないか。結局、自己満足なのではないか…」など。評価懸念の暗闇に飲み込まれそうだった。だが、参加者の方々からのコメントや感想を見て、それらの大部分は払拭された。2人に送ってもらった感想コメントで、ある人は糖尿病の領域に関心を持ったとコメントをくれた。別の人は異なる分野の臨床現場で勤務しているにも関わらず、共通した困難があることが面白いと書いていた。当事者性の話題からご自身やご家族のことを思い出している人がいた。また、当事者性とは何なのか深く考察する人もいた。自己責任を求める社会と医療という社会の中での心理職の役割を考える人もいた。自分の発表が何かの刺激になったことが嬉しかった。発表を通して人と繋がり、意見を受けることで、これでいいのだろうかと迷いながらやっている臨床に、価値があると思えた瞬間だった。
発表から2年半、今も発表の時に書いた臨床を、僕なりの「ありふれた糖尿病の心理臨床」を続けている。それは、発表の前と同じ風景のようで違う。目の前で展開している臨床に、今はより意識的に関わるようになっている。「病む」人への考えも、「医療」での心理職の役割も、「当事者」である事実をどう臨床に活かすかも、それまでに考えていた範囲よりも広い視点と次元から深く考えるようになった。
また、臨床実践とはまったく異なる結婚式場で、この研究会が現場の臨床家を救う、いや、現場の臨床家が行っている素晴らしい臨床を救うことを実感する出来事もあった。その日、僕は友人の結婚式で式典の開場を待っていた。そこに居合わせたのは臨床心理士の知人。自然と雑談が始まった。そして互いに近況報告をする中で、話題はありふれた臨床研究会に及んだ。知人の彼は、公務員で、ソーシャルワークとも事務作業とも言える仕事に奔走していた。とても忙しかった。本を読む暇も、研修会に参加する時間も最近は取れていないと言っていた。そして個人面談の臨床をできていないこと、心理職として働いているのかわからなくなっていると語った。それは、山崎さんが純金コンプレックスと称して取り上げている、心理職に「ありふれた」悩みだった。僕は彼に、その悩みが最近「純金コンプレックス」と呼ばれ、山崎孝明という人が養成する側の問題として提起していることを伝えた。彼は目を大きくして聞いていて、少し興奮していた。・・・悩みに名前がある。それが問題意識として共有され、それを解消するための社会的な運動が自分の業界で起こっている。その動きを知ることで、救われる人がいること、救われる臨床があることをそのとき知った。そして、目の当たりにして思った。これは、心理職による心理職のための、クライエントの利益に資する支援者支援だと。
臨床家は現場から学ぶ。発表者であった僕にとってこの研究会への参加は、自分が置かれている現場で見えにくくなっているものを、見えるようにしてくれた。他の専門家と共有することを恐れていた臨床実践の知を分かち合う手助けをしてくれた。そして、他者の実践が自分の実践と共鳴し合うものであることを実感させてくれた。これらの経験は、学ぶ共同体が心理臨床家にとって、いかに強力な仕掛けになるかを教えてくれた。
ありふれた臨床研究会とは何だったか。発表者の一人として経験したのは、紛れもなく支援者支援だった。2人の先鋭的な “リードオフマンズ” によって発動されたこの運動は、終わってからも社会的な議論を巻き起こすかもしれないが、一人の参加者として見たこの研究会は、人間味と知的関心に溢れ、つながりがあった。ケアとセラピーが確かに行われていた。主催者から見た視点だけでなく、参加した者の視点からも、またそこで行われている議論を間接的に触れた者の視点からも、この研究会は支援者支援だったといえるだろう。
そして研究会によるケアとセラピーの過程で、僕は書かされた。書かざるを得なかった。この文章も、書籍の一章も。東畑開人と山崎孝明という2人に、そして、研究会に参加した様々な意見を持った同志と、何より心理臨床という現場で出会った人々に書かされた。・・・いや、嘘だ。僕は、もともと書きたかった。書く場を求めていた。だから、東畑さんに導かれ、山崎さんに励まされた。そして研究会で見知った多くの同志がそれを支えてくれた。
研究会は終わる。なくなることの寂しさがある。センチメンタルだ。・・・でも、終わることで「残る」のかもしれない。そして、残るからまた、何かが僕の中で始まるかもしれない。
劇的な研究会だった。それは、僕と心理臨床学との関わりを根本から変える出会いになった。院を修了後、熱心に参加していた心理臨床学会から、僕は10年足を遠のかせていた。けれど、この研究会に関わるようになってから、同志に参加を促され、会員シンポジウムを企画したいと思うくらいに関心を向けるようになった。そのテーマは、これからの心理臨床学と、心理臨床家のためになるものだと信じているものである。
この短い人生の中で、何ができるか。V.E.フランクルが問うように、人生が僕に期待しているものは何か。・・・この業界にもっと関わろうと思うようになった。そして、書かねば、と思うようになった。
「ありふれた臨床研究会」は僕の中に、いやきっと参加した “僕ら” の中に、大きなものを残している。この火が消えないうちに、東畑さんと山崎さんに答えよう。
「はい、書きます。」
東海林 渉(東北学院大学)